カスティリオーニ事務所は、ミラノ中心のカドルナ駅近く、アルファロメオの紋章でも有名なスフォルツェスコ城が見える建屋の地上階にある。敷地の門番の脇を通り重厚な事務所の扉に初めて立ったのは、2001年の春であった。
アキッレ氏の娘のモニカと豊福夏子さんのジュエリーブランドのショップが東京南青山に進出することになり、その店舗デザインを氏が行うことになった。氏と交流が深かった城谷耕生さんが設計と施工管理を担当する形で参加することになり、図面と模型製作を手伝いする助手として私に声が掛かった。
当時城谷さんはイタリアと日本を行き来し、それぞれのクライアントにデザイン、ディレクションを行っており、硬派なイタリアデザインの実践者であり、私は心酔し親しくさせていただいていた。
カスティリーニ事務所での打ち合わせはいつも決まって夕方からだった。大きなスケールでの模型に拘るアキッレ氏の意向に従い10分の1の模型をスチレンボードで製作した。そこに10分1で製作した氏の人形と什器を並べた。そこからはまるで将棋を指す棋士のごとく、1つ机を動かしては考え、また1つ動かしてはまた考えるという時間を掛けて検討するスタイルだった。その作業を目の当たりにして、まるで自分がそのスケールに入り込んでしまったような錯覚を覚えた。仮想空間によりリアルにダイブすることが、大きなスケールで検討する意味だったのではないかと考えている。
氏の発想の瞬間、若者を育てる姿勢を目の当たりにしたことは、私のデザイナー人生において非常に大きな転機となった。
最終的にバックヤードの斜めの空間を提案したのは私のアイデアであった。氏は斜めに壁を配置するアイデアをもとにデザインを展開していった。当時まで駆け出しのデザイナーだった私の意見も自然に吸収してくれる柔軟さに感服した。あくまで助手の立場ではあったが、アイデアの部分で協働させていただけたことを誇りに思っている。
世界で認められたデザイナーの発想の瞬間を共有させていただいたことは、私の人生の中でかけがえのない経験となった。 憧れていたカスティリオーニ氏、氏と時間を共にするチャンスを与えていただいた城谷さんには、感謝してもしきれない。お二人ならどんなふうにこのプロジェクトを成功させるだろうか?そう問いかけながら、今も自分のデザインに取り組んでいる。
※城谷耕生さんは、昨年12月13日に多くの方に惜しまれながら永眠されました。ご冥福をお祈りいたします。
左から、カスティリオーニ氏、城谷氏、筆者、豊福氏
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